突然ですが、今日朝ごはんに何を食べましたか?
トースト?白いご飯?コーヒーだけ?
ではなぜ、その「選択」をしたんですか?
ジャムを思いっきり塗りたくったパンが食べたかったとか、賞味期限の近いふりかけがあったからとか、あとは腹部エコー検査で絶食しなきゃならなかったとか?
私たちは常日頃から選択をしています。時には、悠長に考える暇もなくすぐに判断を迫られるときもあります。
単に朝ごはんの選択なら、そこまで必死に悩まなくてもいいでしょう。ですが、もし自分が選んだ朝ごはんによって、自分ではない誰かが怪我をしたり、果ては命を落とすようなことになるとしたら?
DETROIT:Become Human(以下「DBH])とは、「何気ない選択が紡ぐ物語」なのです。
最近では、マルチエンディングのゲームはさほど珍しくありません。
マルチエンディングでないとしても、ゲーム内で「はい」「いいえ」と受け答えを選べるのは、もはや当たり前の機能でしょう。
ですがDBHは、単に「仲間にしますか」→「はいorいいえ」だけでおさまるのではなく、小さな選択の積み重ねが、操作キャラクターの行く末や彼らを取り巻く環境をガラッと変えてしまいます。
しかも選択は一回限りで取り消しができず(厳密にはロードし直せば可能ですがそれはそれで結構めんどくさい)、場合によっては制限時間が設定されています(しかも時にはわかりにくい形で)。そしてタイムアップしてしまうと、提示された選択肢の内から強制的に選ばれて話が進んでしまいます。
町や事件現場を探索するパートでも、ぼやぼやしていると強制的に次のシーンに移行すします。つまりあらゆるシーンで、リアルタイムで選択を迫られるのです。だからこそ、自分自身の直感がそのままゲームの世界に反映されて、この上ない没入感が味わえます。
また、ドアを開けたり鍵をかけたりする動作や、誰かのために飲み物を注ぐといった一風変わったアクションを要求されることもあります。
また言わずもがなですが、綿密に作られた世界やキャラクターの表情も、没入感に拍車をかけてくれます。表情のキャプチャー技術って本当進んでるんだなぁ。
そして何より心がえぐられるのは、ストーリーが進むにつれて、迫られる選択の内容が少しずつ重くなり、アクションも複雑になっていくところです(※アクションパートに関しては難易度が選べるので、苦手な方でも安心かと思います)。
また、ゲーム本編とは違う場面で、ゲームが第四の壁を破ってくる要素もありますが、それはプレイしてのお楽しみということで。
「自分でプレイする映画」という表現はここ数年よく見かけるようになりましたが、とりわけてDBHはその中でも最高位にあると感じます。
あまり語りすぎるとネタバレになりますので、プレイ感想は別の機会に置くとし、
私がプレイするきっかけになった動画を紹介します。
気になる方はこちらの動画をご覧ください。そして、
もしプレイすると決めている方は、見ないことをお勧めします。
この記事を読んで、DBHに興味を持っていただき、実際にプレイしていただけると、とてもうれしく思います。
そしてプレイすると決めたあなたに最後に一言、制作者の方々やたくさんのプレイヤーが口を揃えて言うように、
一度始めたらやり直さず、
最後までエンディングまでひた走ること。
何が起こっても、それはあなたが自分で選んだ道であり、責任は自分で受け止めなければならないのです。
Jonathan